渡辺努監督(山梨学院ソフトボール)の経歴と実績プロフィール!評価評判も!

ソフトボールの名将の一人として名が挙がる渡辺努監督。

現在は山梨学院高等学校の女子ソフトボール部で顧問をしています。

渡辺努監督ってどんな経歴を持った人物なの?

どんな監督なのか知りたい!

このように思われた方もおられるかもしれません。

今回の記事ではこのような質問に対してしっかりとお答えしていこうと思います。

目次

渡辺努監督(山梨学院ソフトボール)の経歴と実績プロフィール!

経歴と実績

ソフトボールの名将として知られる渡辺努監督。

高校時代では野球部に所属しており、東京農業高校第二高校で甲子園出場を果たしました

その後日本体育大学でソフトボールをプレーし、卒業後には星野高校ソフトボールの監督になりました。

そして15度の全国制覇を果たし、名将と呼ばれるようになったのです。

しかし、2013年から川越東高校へ異動になりました。

川越東高校では野球部顧問を務め、同年の甲子園予選大会では決勝戦まで進むという好成績を残しました。

所属するクラブで数々の功績を残してきた渡辺監督は、2022年現在では山梨学院高校女子ソフトボール部の顧問をされています

渡辺努監督プロフィール

1964年、埼玉県深谷市生まれ

出身校 東京農業高校、日本体育大学

趣味 スポーツ観戦・読書

廃部の危機を救った渡辺監督

山梨学院高校女子ソフトボール部は下記のような好成績を残しており、強豪校として知られています。

全国高等学校女子ソフトボール 9年連続出場 準優勝2回

全国高等学校総合体育大会(インターハイ)6年連続出場

 令和3年度優勝、令和元年度3位、ベスト8 2回

令和元年度関東高等学校ソフトボール大会 優勝

令和4年度全国高等学校女子選抜大会 準優勝

山梨学院高等学校 (yghs.ed.jp)

そんな強豪高校も、一時は部員の減少による廃部の危機に陥ったこともありました

ドン底だった山梨学院高等学校ソフトボール部を救ったのが、渡辺監督だったのです。

渡辺監督が指導を行うにあたって心がけていたことは、部のモットーでもある「臨機応変」な指導を行うことでした。

数十年も監督をしていると、昔からの考え方を統一しようとされる監督もおられると思います。

しかし渡辺監督は、選手の能力やモチベーション、時代の変化に伴う考え方の変化に合わせた指導を心がけていたのです。

このような考え方の下で指導する監督だからこそ、学生達にも指導が伝わりやすかったのかもしれませんね。

部員人数は増え、「日本一になりたい」という強い意志を持った部員も増えています。

強豪復活への道は着実に進んでいると言えるでしょう。

2022年現在ではコロナウィルス感染拡大の影響による全国大会やインターハイにつながる試合が中止になった時期もありました。

全国制覇という夢を叶えたくてもその挑戦すらすることの出来なかった部員もいることでしょう。

そんな部員たちの夢を背負った後輩たちが、渡辺監督の指導の下で繰り広げる全国制覇という夢の舞台を早く見てみたいですね!

評価評判も!

渡辺監督は部員とのコミュニケーションを大切にされています

ケガを負傷し、痛みが出ても投げ続ける選手に対して次のような声をかけたそうです。

「今頑張っても意味がない。大事な大会で投げられないほうが、チームに一番迷惑になるし、自分も後悔する」

短い言葉ですが、納得できる気がしませんか。

このとき言われた部員も、その後少し考え方が変わったと話されていました。

たくさんの修羅場を乗り越えてこられた渡辺監督だからこそ出来る声かけですよね。

そんな渡辺監督への評価はSNSの投稿を見ても分かるように評価の高いものと言えるでしょう。

まとめ

今回の記事では、渡辺努監督(山梨学院ソフトボール)の経歴と実績プロフィール、評価評判についてお伝えしました。

まとめると、下記のことがわかりました。

渡辺監督は野球とソフトの両方で多くの実績を持っている

コミュニケーションを大切にし、たくさんの修羅場を乗り越えてきた渡辺監督への評価は高い

今でも渡辺監督の下で日本一を目指し頑張っている部員がたくさんいます。

渡辺監督からの教えによって繰り広げられる試合に今後も目が離せませんね!

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