福井・敦賀気比高校野球部監督の東哲平監督。
2015年春の選抜大会では北陸勢初の優勝を達成した監督です。
そんな東哲平監督の経歴や実績プロフィール!評価評判が知りたいと思っているあなたのために、こちらの記事では、現役時代の経歴や指導者時代の経歴も含めご紹介しています!
東哲平監督(敦賀気比野球部)の経歴と実績プロフィール!
プロフィール
名前:東 哲平(あずま てっぺい)
生年月日:1980年7月27日 42歳(2022年現在)
出身地:京都府宇治市
経歴:敦賀気比高校→三菱自動車川崎
東哲平監督には兄・万人(かずひと)さんがいます。
兄の万人さんも、敦賀気比野球部のOBです。
高校時代には内野手として活躍されていましたが、甲子園出場はなりませんでした。
現在は「ベースボールバイブル」という会社で、野球上達のための情報発信をされています。
現役時代の経歴
東哲平監督は、小学3年生から野球を始め、1996年に野球留学で敦賀気比高校に入学しました。
当時の監督で“名将”と言われた渡辺孝一さんに誘われたようです。
同級生には、広島打撃コーチ・東出輝裕(ひがしで あきひろ)さんや、楽天打撃投手・金森久朋(かなもり ひさとも)さんらがいます。
また、松坂大輔(まつざか だいすけ)投手と同学年のいわゆる「松坂世代」ですね。
東哲平監督はファースト兼ピッチャーとして活躍し、甲子園には2年生の夏から3季連続で出場しました。
3年時は、1番打者の東出さんが出塁して、4番打者の東哲平監督が長打で還すというのが得意パターンでした。
しかし、高校時代の東哲平監督は、当時の監督に「打撃の天才」と褒められてテングになっていて、あまり熱心に練習をしていなかったそうです。
高校卒業後は、三菱自動車川崎に入社。
しかし、ここでも真剣に野球をやる気にはなれず「肌が合わない」とわずか2年で退社し、現役を引退しました。
指導者時代の経歴
現役引退後は、故郷の宇治に帰り、建材運搬などのアルバイトをしていました。
そんな時に少年野球時代の指導者と偶然再会したことで、野球への思いが再燃します。
“故郷で悶々とした日々を送っていた頃のこと。
野球を始めたときの指導者と偶然、町で再会した。
てっきり社会人野球で活躍しているものと誇らしく思っていた恩師は驚き、「何してるんや!野球はどないしたんや?」と声を上げた。
「本当に、俺は何をしてるんやろう?」と恥ずかしさで顔から火がでる思いだった。”
と語っていました。
その後、東哲平監督は母校・敦賀気比高校のコーチ、北陸高校の監督、少年野球チーム・オールスター福井の監督を経て、2011年8月から敦賀気比高校の監督に就任しました。
監督就任後は、2012年春に甲子園初出場。
現時点で、春4回、夏5回の甲子園出場を果しています。
東哲平監督が敦賀気比高校野球部の監督に就任した時の挨拶が話題になりました。
「決して、僕のような選手は作らないように頑張ります」
これは、自身の経験を踏まえての話ですから、決して冗談ではなく、今でも悔やんでおり、自分の経験を教え子たちに伝えているそうです。
評価評判はどうなの?
敦賀気比高校の評価・評判や、東哲平監督の評価・評判はどんな感じなのでしょうか?
早速見ていきましょう!
素晴らしい試合を見せてくれたと、健闘を讃えている方が多いですね。
また、東哲平監督には名将監督になってもらいたいと応援されている方もいらっしゃいました。
まとめ
東哲平監督(敦賀気比野球部)の経歴と実績プロフィール!評価評判についてご紹介してきました。
- 自身も敦賀気比高校出身
- 高校時代は横着な選手で努力もしない、野球をなめた選手だった
- 恩師との再会で野球への思いが再燃
- 高校野球の指導者となり、自分の失敗を選手たちに伝える良き指導者に
野球人生では、波乱万丈の人生だった東哲平監督。
自分が失敗したからこそ、今の自分があり、失敗しなければ気づけなかったこともたくさんあるでしょう。
東哲平監督は40代とまだ若い監督です。
これからも、北陸の高校野球の発展のために活躍を期待したいですね!