森脇稔監督(鳴門野球部)の経歴と実績プロフィール!評価評判も!

これまで春夏合わせて20回の甲子園出場を果たし、優勝や準優勝の経験もある徳島県立鳴門高校。

特に森脇稔監督が指導を始めた2007年からは、13年間で10回甲子園の土を踏んでいます。

甲子園常連校へと導いた森脇稔監督の指導法とは?

森脇稔監督の経歴や実績、プロフィールもまとめています!

【この記事を読むとわかること】

  • 森脇稔監督(鳴門野球部)の経歴と実績プロフィール
  • 評価評判は?監督として大事にしていることとは?
  • 森脇稔監督の指導法とは?
目次

森脇稔監督(鳴門野球部)の経歴と実績プロフィール!

プロフィール

名前:森脇稔(もりわき みのる)

生年月日:1961年4月7日 61歳(2022年現在)

出身地:徳島県鳴門市

学歴:黒崎小学校→鳴門第一中学校→鳴門高校→法政大学

職業:鳴門高校野球部監督、同校社会科公民教諭

高校では硬式野球部キャプテンとして活躍し、大学では硬式野球部マネージャーとしてチームを支えていました。

経歴・実績

■1985年~1995年

鳴門高校の野球部監督に就任。

■2000年

徳島工業高校の野球部監督に就任。

教え子にコーチを依頼し、手ごたえを感じる。

■2007年

再び鳴門高校の野球部監督に。

甲子園を目指しコーチ制を導入し、人数を順次増やしていく。

■2010年

夏の甲子園出場を果たす。

以降、2011年、2017年を除き甲子園へと勝ち進み、押しも押されぬ常連校に。

森脇監督の指導法は?

森脇監督が母校・鳴門高校の監督に最初に就任したのは、1985年から1995年春まで。

この時は、一度も甲子園に手が届かなかったそうです。

「当時は私一人でチームの指導に当たっていたため、目の行き届かないところがあった」と当時を振り返ります。

その後に就任した、徳島工業高校(現在の徳島科学技術高校)の監督時代には教え子にコーチを依頼

手ごたえを感じたことから、2007年に鳴門高校の監督に再就任した時に、そのスタイルを引き継ぎました。

現在ポジション別に5人のコーチがいて、日々の細かい指導はコーチ陣に任せているそうです。

事前にコーチとのミーティングを細かに行って強化方針を決定し、練習の進め方はコーチに権限委譲する指導体制を敷いています。

コーチの一人は「僕たちが現役の頃は、監督はニコリともしない怖い存在でしたが、今は選手と冗談を言い合うことも。

練習の厳しさは変わりありませんが。」

とおっしゃっていました。

規律を保ちながらも、コミュニケーションを取ることで、良い雰囲気を生み出そうとしているのですね。

評価評判は?監督として大事にしていることとは?

まずは、鳴門高校野球部や森脇監督の評価・評判はどんな感じなのか、早速ご紹介していきます!

https://twitter.com/KyujienK/status/1291705421732880385

監督として大事にしていること

森脇監督はあるインタビューで、監督として最も大事にしていることについて語られていました。

“鳴門高校の校歌の一節に『岩をも砕く不断の力』という言葉があります。

また、これによく似た言葉として「継続は力なり」ということで、地道なことをどれだけ継続してできるかどうかが、最後の粘りに繋がってきます。

特に派手なことをする訳ではなく、地道にコツコツすることによって子供たちの気持ちもしっかりしてくると思います。

そして、監督自身が粘り強く、諦めず、根気強く指導することだと思います。

また、試合ではその積み重ねたものを全て出し切れるよう【笑顔】で臨めと子供たちに声をかけるようにしています。”

まとめ

森脇稔監督(鳴門野球部)の経歴と実績プロフィール!評価評判についてお伝えしてきました。

  • 高校時代は硬式野球部キャプテンをしていた
  • 大学時代は硬式野球部マネージャーとして支えていた
  • 甲子園を目指し、コーチ制を導入した

全国制覇をこれからの目標にしている森脇監督。

スター選手不在の公立校でも甲子園常連校になるために、「当たり前のことを当たり前にできる力」を身につけさせるための練習を徹底されているそうです。

コツコツと愚直に。

堅実なプレースタイルで、確実に力を伸ばし、今や甲子園を湧かせてくれる存在になりました。

今後の活躍に目が離せませんね。

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