五島卓道監督(木更津総合野球部)の経歴と実績プロフィール!評価評判も!

木更津総合高校の野球部監督、五島卓道監督。

強豪校が多く存在する千葉県の高校野球界をリードしている存在です。

就任以来、甲子園には春夏合わせて10回も出場しています。

そんな五島卓道監督の指導法とは?

経歴や実績も気になる!

そんなあなたのために、こちらの記事では、五島卓道監督(木更津総合野球部)の経歴と実績プロフィール!評価評判をご紹介しています!

夏の甲子園が始まる前にぜひチェックしてみてくださいね!

目次

五島卓道監督(木更津総合野球部)の経歴と実績プロフィール!

プロフィール

名前:五島卓道(ごしま たくどう)

生年月日:1954年6月19日生まれ 68歳(2022年現在)

出身:岐阜県美濃加茂市

選手歴:岐阜県立関高等学校、早稲田大学、川崎製鉄神戸

指導歴:川崎製鉄神戸、暁星国際高校、木更津総合高校

大学卒業後は、川崎製鉄神戸に入社して社会人野球で内野手として活躍します。

その後、暁星国際高校の野球部監督として務めます。

そして、五島監督は5年後の1998年に木更津中央高校(現在の木更津総合高校)の野球部監督に就任します。

木更津総合高校に移動した理由は、暁星国際高校で甲子園出場を果たすことができず、解雇されて「甲子園出場を果たすための再チャレンジ校に木更津総合高校を選んだから」だそうです。

木更津総合高校では、就任5年目の2003年に32年ぶりの甲子園へ導きました。

そこからはコンスタントに、激戦の千葉で甲子園出場をされていますから、指導力が高いことがうかがえます。

指導者時代

五島監督の指導法とは、一体どんな感じなのでしょうか?

五島監督は現役引退後は、川崎製鉄神戸でコーチを2年、監督を3年務めています。

その時に、甲子園常連校出身の選手たちでも指示を待っているだけで、自分から動けないことを感じ、のちに選手たちに「考える野球」を実践させるきっかけとなりました。

1988年11月に、野球部強化に乗り出していた暁星国際高校の監督に就任します。

その頃の暁星国際高校の野球部は、県大会では1回戦突発がやっと、という弱小チームでした。

監督に就任した翌年には、強化1期生として小笠原道大さんや、北川哲也さんらが入部。

就任2年目の1990年の夏には千葉県大会決勝まで進出しています。

小笠原道大さんらが3年生となる91年の夏には、初の甲子園出場が期待されていましたが、初戦で銚子商業に敗退。

その後は、秋や春の県大会では優勝するものの、なかなか甲子園まで届かない時期が続きました

そのため、1993年に早急な結果を求めていた学校側から、解任されてしまいました。

解任後は、暁星国際高校で教鞭をとっていましたが、同じ木更津市内にある木更津中央高校(現・木更津総合高校)から熱心な誘いを受け、1998年11月に監督に就任します。

木更津中央では、就任2年目の夏に千葉大会で準優勝。

そして就任5年目、清和女子短大付属高校と統合し、木更津総合高校に校名が変更した節目の年に悲願の甲子園出場を果たします。

その後は、春の甲子園に3回、夏の甲子園に7回出場しました。

2016年夏の甲子園大会では、過去最高成績となるベスト8入りを果たしました。

五島監督の教え子のプロ選手

五島監督の教え子には、数々の有名プロ野球選手がいます。

まずは、暁星国際高校でのプロ選手!

小笠原道大選手

小笠原選手は北海道日本ハムファイターズ→読売ジャイアンツ→中日ドラゴンズ、さらにはアテネ五輪日本代表など、知る人ぞ知る有名選手です!

現在は中日ドラゴンズの二軍監督を務めています。

続いて、木更津総合高校での教え子、井納翔一投手です!

横浜DeNAベイスターズに所属する投手です。

性格が個性的で「ハマの宇宙人」というニックネームがあるそうです。

最後は、高橋慎之介投手です。

巨人育成中の選手です。

評価評判も!

木更津総合高校野球部の評価・評判と五島監督の評価・評判はどんな感じなのでしょうか?

早速見ていきましょう!

今年も決勝まで残るのでは?と思っている方も多いようですね。

五島監督の目指す野球は、選手一人一人が自分で考え、行動する「考える野球」です。

ミーティングでは常に、選手に発言を求める他、練習時間の1/4以上を自主練にあて、その間一切口を出しません。

「考える野球」を追求していくのが五島監督の野球であり、強さの秘訣なのかもしれませんね。

まとめ

五島卓道監督(木更津総合野球部)の経歴と実績プロフィール!評価評判についてお伝えしてきました。

五島監督は時に厳しく、時にやさしく、生徒たちを指導しています。

ただ基本重視は変わらず「とにかくバットを振れ、(素振りで)スイングをしろ」と言い続けます。

「踏ん張って、踏ん張って…忍んでおけば何かいいことがある。

ことしは、一つでも上に勝ち進んでいきたい」とあるインタビューで語っていました。

これからも、一人でも多く、野球が上手いだけではなく、人間的にも優れた“人”を育てていってほしいですね。

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