中井哲之監督(広陵野球部)の評価評判!経歴と実績プロフィールも

「広陵の中井監督って野球監督としてはどのような評価をされている人なの?」

「中井監督の経歴を知りたい!」

甲子園の常連となっている広島の広陵高校の野球監督である中井哲之監督。

彼は一体どのような経歴の持ち主であるか気になる方もおられるでしょう。

この記事では中井監督の評判やプロフィールについてたくさん伝えていきます!

	
目次

中井哲之監督(広陵野球部)の評価評判!

自主性に重きをおいた指導法

中井監督は、野球の指導を行うにあたって「ノーサイン野球」指導法を行っています。

これは、監督が選手に対してすべてのアドバイスを行いません。

少しだけ助言するだけで選手自らが考えて状況に応じたプレーを出来るように考えるやり方をするそうです。

広陵高校出身のプロ野球選手が主体的にプレーを行っている姿は、中井監督からのこの教えがあったからであると分かりますね。

インタビューからもわかるように、中井監督自身はこの教えを中井監督のお父様から学んでいます

実は、2022年6月現在、広陵高校には中井監督の長男である惇一さんが広陵高校野球部の副部長として指導を行っています。

惇一さんも高校時代、広陵高校で中井監督の指導の下で野球に打ち込んでいました。

「人間的に大きく成長させてもらった高校野球に今後も携わりたい、広陵の伝統を後輩たちに繋いでいきたい。」

その思いから教諭免許を取得し、2017年に広陵高校に戻ってきたのでした。

惇一さんが指導する上で大切にしていることは「選手と同じ目線に立つこと」

インタビューでは、「広陵での野球を通して、感謝の心を持ち、周りの人を大切にできる人間になってほしいという思いで指導にあたっている」と答えています。

親子で引き継がれ続けている監督の選手に対する大切な教えは、これからもずっと続いていくのかもしれませんね。

選手たちは、「家族」

選手からは兄貴と慕われ、選手と強い絆を作る指導法で有名な中井監督。

中井監督は広陵野球部を「家族」と呼んでいます。

自分が父親で、監督の妻が母親、そして選手たちが息子たち。

その一人ひとりにあだ名をつけて接しつつ本気で怒り、褒め、笑い、泣くそうです。

そして、「嫌われようが構わないし、言わなきゃいけないことは当たり前に言う。だって、家族だから」というスタンスで選手たちと接しているのです。

息子たちのため、審判への異論

中井監督の、選手への愛が溢れていることがよく分かる出来事が2007年8月22日の夏の甲子園決勝戦での出来事でした。

2007年8月22日夏の甲子園決勝戦、佐賀北との対戦7回終わって広陵が4-0とリードしており勝利も堅いものとされていました。

しかし8回裏に悲劇が起きてしまいます。

一死満塁、カウント1-3からの広陵ピッチャー野村祐輔選手が投げた球がボールと判定されたのです。

しかし、VTRで確認してもストライクと判定している声が圧倒的に多いコースでした。

もちろん中井監督もこの球はストライクと判断していました。

この球の後から会場の空気は一変し、佐賀北への応援が圧倒的なものとなりました。

1球1球起き上がる地鳴りのような声援を背景に続く一死満塁。

そして逆転満塁本塁打を許してしまい、逆転負けという結果に終わりました。

中井監督は試合後に次のようにコメントしています。

「あんな判定をされるとどう対処していいのかわらない。どこに投げたらストライクなんですかね。あの押し出しで野村は腕が振れず真ん中に投げるしかなかった。普段は何も言わない子供たちが『先生、たまりません』と。負けた気がしない」

「言っちゃいけないことは分かっている。でも、言わないと変わらないでしょ!?。高野連は考えてほしい。辞めろと言われれば辞める」

: J-CAST ニュース

審判の判断は絶対です。

審判の判断に対して抗議をすることはあってはなりません。

中井監督は常々「審判のジャッジは絶対。文句を言うな」と選手に教えており、選手たちもその教えを守っていました。

そんな中井監督がなぜこのような発言をしたのでしょうか。

それは、自身のクビをかけてでも、「おかしいことはおかしい。」と選手たちの父親である自分が伝えなければならないと判断したからだと思われます。

後日、中井監督は高野連から厳重注意を受けました。

本来ならば、してはならないことを選手たちのために行った中井監督。

この出来事だけでも、選手たちへの愛が強く感じられます。

広陵の父、中井監督は強くて偉大であると言われる理由が分かりますね。

https://twitter.com/yuki_maroge/status/1234101036953944065

上記のSNS投稿を見ても、選手と監督の3年間の絆が感じられます。

選手たちにとっても、中井監督は「大好きな先生」なのでしょう。

経歴と実績プロフィールも

経歴・甲子園での成績

選抜高等学校野球大会優勝監督(1991年 2003年)

  • 春:出場11回・19勝9敗1分け・優勝2回
  • 夏;出場8回・15勝8敗・準優勝2回
  • 通算:出場19回・34勝17敗1分け・優勝2回・準優勝2回

プロフィール

誕生日 1962年7月6日

出身 広島県廿日市市

出身校 大阪商業大学

大阪商業大学卒業後、1985年母校である広陵高校で商業科の教員となられた中井監督。

1990年には27歳という若さで野球部監督に就任されます

中井監督は野球監督に任命された日のことをよく覚えており、下記のように話していたそうです。

「えっ、監督? そんなバカな、なにかの間違いじゃろう……と思ってプリントを見たら、本当に”野球部監督 中井哲之”と書いてあるんですよ。それでもすぐには信じられず、絶対なにかのミスだと思いましたね」

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任命された当時、中井監督はコーチ歴4年だったそうです。

創部80年間近、全国制覇の経験あり、OBには野球界のレジェンド・プロ野球多数輩出という多くの功績をもつ広陵高校の監督への抜擢。

何かの間違いであってほしいと尻込みしたくなったがもう決まっている人事だから、の一点張りで取り付く島もない状況。

ここが中井監督の歴史の始まりだったのです。

中井監督を支える妻

ちなみに、中井監督の奥さんは「由美さん」と言います。

名将の妻として陰から野球部員たちを支えており、選手からの信頼度も高いそうです。

中井監督に対しても下記のように話しているそうです。

「お金で買えないものがたくさんあるから、その生き方があなたに合ってると思う。そういうものがいっぱいあるから私は幸せ」

このような素晴らしい考えかたを持った奥さんがそばにいるからこそ、中井監督は全力で野球監督を続けられているのでしょう。

まとめ

今回の記事では、中井監督の評価評判やプロフィールを紹介させて頂きました。

中井監督は広陵野球部は家族であり、選手たちを息子として接していることがわかりました。

中井監督の愛情を受けながら活躍している息子である選手たちの今後のさらなる活躍に期待したいですね!

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